鎌倉時代以降、滋賀県大津市のあたりも武士や商人などの往来が活発になり、産業も発達してきて京都の特産品が全国に運ばれ、また全国各地の品々が京都へ運ばれるようになったため、それらの物品を運んだりするために通行する道も整備され発達していきました。

中でもびわ湖は日本海と京都を結ぶ重要な交通路として港が作られたり運送業が盛んになったりと大いに発展しました。
そんなびわ湖の運送業の中でもびわ湖大橋付近にいた堅田衆は中心的な存在としてよく知られていました。
堅田衆は堅田船と呼ばれる船団を保有し、びわ湖の運送業に従事し、時には海賊行為も行うなどしてびわ湖の水運業に対して強い影響力を持っていました。

びわ湖の交通路がどのように利用されたかというと、まず日本海の海産物等が敦賀に到着すると、そこから陸路で塩津に運ばれ、そこで物品は船に乗せられて約半日かけて大津に着きます。大津で再び物品が荷車に乗せられて京都に運ばれます。

荷車に比べて船はより多くの物品をより少人数で運ぶことができたため非常に効率的です。そのためびわ湖の交通路は極めて重要な流通路といえました。

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