4月17日に「一庭啓二 碑」の除幕式が大津市長等にある泉福寺でとり行われました。この日は一庭啓二の命日であり、一庭啓二が泉福寺の門徒であることが去年明らかになったため碑の建立が決まったそうです。
一庭啓二は幕末から明治初期の人物で、加賀藩の支藩であった大聖寺藩の藩士石川嶂と協力して琵琶湖で最初に誕生した木造蒸気船「一番丸」を就航させ、その初代船長となりました。「一番丸」の就航以前は琵琶湖で運行されていたのは和船でしたが、琵琶湖を利用した輸送の重要性が増し、幕末の混乱を原因とする輸送の不安を解消するために蒸気船の建造が計画されたのです。そしてその計画に呼応して一庭啓二が建造に加わり、ついには船長になったのです。
「一番丸」が建造された場所は現在は大津市浜大津の川口公園となっており、その細長い形状が造船ドックの面影を残しています。琵琶湖の蒸気船「一番丸」は現在復元され、瀬田川・琵琶湖リバークルーズという、滋賀県の様々な歴史的な遺産を船上から眺めることができる琵琶湖観光に利用されています。