融神社は、滋賀県大津市にある、源融を祀る神社として知られています。
その創建は9世紀後半にさかのぼり、嵯峨天皇の皇子であった源融が、現在の滋賀県大津市伊香立の地に閑居を構え、その山頂に一面の鏡を埋めたことに始まると伝えられています。
源融はこの地で静かな隠棲生活を送ったようです。
源融の没後、945年(天慶8年)になると、伊香立荘を管理していた荘官がその鏡を掘り出し、神璽(神社の御印)として祀りました。そして小さな祠を建て、源融を「才人」、すなわち学問や才知に優れた人物として崇敬したのが、融神社のはじまりとされています。
こうして生まれた融神社は、現在では源融を祀る全国でも唯一の神社として知られています。
融神社の祭神は主祭神として源融、配祀神として母である大原金子命が祀られています。
源融は平安時代初期を代表する文化人でもあり、古典文学との関わりでも知られています。源氏物語の主人公・光源氏のモデルではないかともいわれており、歌人としても名高く、小倉百人一首には河原左大臣の名で「みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに」という和歌が収められています。
融神社は、一条天皇の時代以降、歴代天皇から奉幣を受けるなど朝廷の崇敬を集めましたが、鎌倉時代以降は次第に衰退し、一度は廃絶に至ります。
その後は南庄・家田・谷口の三村によって氏神として守られましたが、1571年には織田信長による焼き討ちによって社殿が焼失してしまいます。
それでも神璽は守られており、1579年には社殿が再建され、武家の保護のもとで存続しました。さらに1796年には火災により再び社殿を失い、勅書や神宝も焼失するという大きな被害を受けましたが、翌年には社殿が再興され、現在へとその信仰が受け継がれています。
長い歴史の中で幾度もの焼失と再建を経験しながらも、平安の貴公子・源融を祀る神社として伝えられてきた融神社は、今も静かな歴史の息吹を今に伝えています。
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